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小豆ぼうとう おみゆきさん(大神幸祭)と料理      
秋季例大祭 西島神楽 餅(新築)
布巻(めまき) 稲荷ずし

小豆ぼうとう

山梨県北杜市須玉町若神子の下宿にある三輪神社の祭礼は「若神子のドンドン火祭り」として毎年決まって7月30日に実施される。境内西側の六地蔵幢は永享七年甲寅(1432年)に建立され高さ2.68m、甲州型の特徴をもち室町時代の代表的な遺構として重厚であった。さて、準備は前日に行われる。氏子の各家では、その日、儀礼食として「小豆ぼうとう」を作り供えることから人々は「ほうとう祭り」とも呼ぶ。当日、夕方6時から神官が神事を祝詞し「オデクの祓い」などが挙行される。三輪神社の供物は、大根や人参などの野菜と果物、するめ、酒が必ず供えられる。7時に境内の中央に積まれた材木に点火しドンドン火を燃やす。社殿西側のオデクに進んで神紙を頂戴し自分の身体の痛いところや不自由なところを撫でてハラガケ(前の腹の袋)に納める。オデクに願い事を唱える人もいる。長老は孫に向かって「頭が良くなるようにお願いして、神紙でよく頭をなで袋に入れろ!!」と叫んでいる。この行事は、虫送りの火焚きと藁人形による祓いから構成されている。オデクは須玉川に流していたが昭和60年頃から環境条例により境内で総てドンドン火祭りにふさわしく禊祓いの祭りとして威勢良く燃やす。地区の婦人方により甘い「小豆ぼうとう」が参詣の人々に提供されている。氏子の各家では、それまでに田の草取り、二番子を取り終えあぜ草も刈って出穂前までに一連の田んぼの仕事を終え祭りを迎えるようにし農作業の大きな節目となっている。『甲州年中行事』によるとこの時期、小麦や小豆の収穫に合せて「小豆ぼうとう」を作って祝い供えて食べると記載している。この一連の行事は、当に祭事と食が密着している。旧須玉町教育委員会の輿水亀春氏にお聞きした。



おみゆきさん(大神幸祭)と料理


 山梨県内でも指折りの歴史を持つ甲斐国一宮浅間神社。その最も大きなおまつりが、「おみゆきさん」の愛称で親しまれている大神幸祭です。
 昔から、水害を治める信玄堤を清め、踏み固めるため、竜王の三社神社に向かう慣わしにのっとり、朝、神社を出発したお神輿は各地を廻りながら三社神社に向かい、夕方帰ってきます。
 一宮町最大のお祭りは、たくさんの露店やお神楽で賑わいを見せ、また桃の花にも彩られ、町は一年で一番華やかなときを迎えます。
この祭りは、甲州三大神幸のひとつで、天長2年(西暦825年)淳和天皇のとき、勅使を下し、一の宮、二の宮、三の宮の各神社に命じて、釜無川の水防祈願を行ったのが始まりだと言われています。
 一の宮浅間神社(笛吹市一宮町)、二の宮美和神社(笛吹市御坂町)、三の宮玉諸神社(甲府市)から3基の神輿が竜王の三社神社に着くと川除けの儀式が行われ、治水を祈ります。川に向かって投げられる繭に似せた白い石を拾うと、厄除けや無病息災にご利益があると伝えられています。神輿の担ぎ手は女装束の若衆で、化粧も派手やかに、独特の「そこだいと、そこだい」のかけ声とともに信玄堤を足で踏み固める動作にて練り歩きます。
 「おみゆきさん」は、明治初期までは、三神社合同で行われていたが、明治政府からの資金援助がなくなったことなどから規模を縮小、2002年まで一宮浅間神社だけで行われいてた。03年に約130年ぶりに三神社合同開催が復活、以後続いている。
 祭りの料理は、太巻きずし、赤飯、そば、野菜の煮物などのほか、各家庭の自慢料理を用意し、子供や兄弟・親戚が集まり料理を楽しみます。
 また、浅間神社にお参りした後、神楽や境内のたくさんの露店を見物したり、早朝浅間神社から御輿を出す若衆の担ぎ出しや竜王の三社神社から夕方帰ってきた御輿をお供の地区の氏子がその地区・地区を夜遅くまで練り歩き担ぎ渡していくのを見るのも楽しみの一つです。
 大神幸祭は、甲斐国第一の大祭たり。社記によれば、天長二年以来旧四月第二のの日中巨摩郡竜王町(現在の甲斐市)三社神社に神幸の上、川除祭(水防祭)を執行し来れるが、明治以後四月十五日と改め本社にて例大祭執行の後、同所及び甲府市上石田町三社神社に神幸す。(現在は、竜王三社神社のみ)片途約六里(二十四キロ)に及ぶ行程なり。
 御祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
          (甲斐国一宮 浅間神社略誌より)


秋季例大祭 西島神楽

  和紙の里として知られる身延町西島地区に伝わる祭の中で、特に村をあげてお祝いしている祭の一つに「秋季例大祭」がある。平成17109日と10日の2日間にわたり開催された。この祭は、富士川の治水と五穀豊穣を祈願して始まったと伝えられている。さらに若宮八幡宮と諏訪神社の両祭神が年に一度訪問し合うという古式に従ったもので、総勢1000人からの人々が準備、祭典などに関わっている。
  450年前から伝承されている「西島神楽」の伝統芸能披露や花火、露店も出店して賑わう。旧暦で815日の前後3日間、現在は10月の第2日曜日前後2日間に開催されている。西島の八つの集落が一つとなり、八年に一回主の当番が回ってくる。
  さらに、毎年55日、太神社例祭に奉納される。伝承によると天正年間(15731591)武田氏が滅びた時、里人の心に希望の灯をともそうと、神主を中心に神楽衆をつくり諏訪、若宮両神社に奉納したのが、始まりであるという。その後、神楽衆は神楽組となり、1921(大正10)以来、「西島神楽団」と改め、今日に及んだもので、現在団員は20余人。演目は「天の岩戸の儀」「大蛇退治の儀」「御大漁の儀」など、特に「御反閉(ごへんぺい)」には古風な手振りがみられ、また「神楽囃子」は18曲が伝えられている。
  19645月には県指定無形民族文化財「西島神楽」として県下に名をとどろかせ、山梨県はもとより、海外公演など幅広く活発に活動を行っている。また西島小学校では「西島少年神楽団」が結成され40人余りの児童が練習に励んでいる。
  主な食品・食物の出現には祭壇をしつらえ山の幸、海の幸、団子は上新粉で丸く作ってお供えする。
  写真は、「若宮八幡宮の準備」、九日夜の前夜祭の「御神輿」、十日は「巫女の舞」と「少年神楽囃子」を示した。「西島神楽が正しい形で村の鎮守の神様の春祭、秋祭がいつまでも継承されるように」と話され少年神楽団の方々は子供達に指導をしている。
  若宮八幡宮の宮司望月久男氏に写真提供と貴重な話をお聞きした。

餅(新築)


  新築時には、地鎮祭、上棟式、新築祝など一連の式典、行事を取り行なう。
  まず、式次第に則り工事を始める前に大地主神、土産神を祀って一家の末長い繁栄と工事の無事を祈願する地鎮祭。地鎮祭の主役は神官である。親戚には前もって連絡しお越しいただく。祭壇をしつらえ山の幸、海の幸をお供えする。大根や人参は葉付き、海の幸は鯛(鮮魚)やするめ、昆布、果物を用意し合わせて米、水、御神酒と清めの食塩も奉納する。食品・食物には赤飯、寿司、煮物、揚げ物などの料理と酒が供されている。
  次に家の土台が出来、骨組みの柱や梁が組み上がり棟木を載せる時に行う上棟式。これは本来、棟梁が完成まで災いが起きないようにと願いを込めて行なったものであるが、現在では家主が工事関係者をもてなすという意味も込められ上棟式の日取りは「大安吉日」を決める。当日の上棟式には上段に神聖の五色の縦旗、破魔矢やお酒などを掲げ沢山の供物と飾り物を用意する。上棟式の食の主役は餅で、米俵に檜の枝と薄い
角餅約
20枚を入れ封をする。“力餅”の言葉通りめでたい「はれの舞台」に登場し、「家の繁栄と人々の健康ですこやかに過ごせますように」と思いが込められている。上棟式には、決まって紅白角餅(地域によっては丸餅もある)現在は小袋の菓子、ゴムボール、スポンジタワシなども合わせて撒いている。親戚や招待した方には前もって家への土産を準備しておく。金製のバケツに餅を始め、赤飯、タオル、白砂糖を入れておく。
午後
2時から3時頃にかけていよいよ上棟式の餅撒きとなり、神官、棟梁、屋根屋、畳屋、電気屋、水道屋、左官屋、建具屋他職人と親戚に上がっていただく。神官は当家の益々の繁栄と工事の安全、上棟式に参加した全員の健康を祈願してお払いをし四隅の柱に酒と食塩、米を撒いて建物を清める。おまちかねの餅撒きには近隣からの子供をはじめ、集落の方でごったがえしている。上段では餅や菓子などを掛け声と共に撒くので、集まった人々は餅や菓子を拾う。約10分位で終了する。五色の旗は職人に差し上げる。上段に上がった方々には降りていただき新築内でお待ちかねの「直会」が始まり赤飯、寿司、刺身、煮物、揚げ物、酒などの酒の肴が並べられ賑やかに夕方まで催されている。
  家が完成し家具調度品も整ったら新築披露を行なう。招待状は披露当日の二週間前までに届くようにする。また外装も見てもらうため昼間のうちに行う。招待された場合、贈り物は時計や置き物などの室内装飾品か観葉植物、鉢植えなどが無難である。熨をつけた紙で包み、紅白蝶結びの水引をかける。熨の表書きは「御新築祝」、「御祝」と記す。この時は赤飯、寿司、刺身、天ぷら、煮物、酒などの食品・食物が供され、現在においては当家ではなく料亭などで催す場合もある。
  写真は、左から地鎮祭、鎮物、上棟式を載せた。二段目左は昭和37年身延町栃代での上棟式と新築祝である。


布巻(めまき)

「布巻」とは、富士河口湖町河口浅間神社の祭時に作られる郷土料理で、河口湖で獲れたわかさぎを焼いて芯にし荒布昆布で三角形に整えながら幾重にも巻き、爪楊枝で刺し止め弱火で長時間煮、濃いめの味付けをした貴重な保存食である。
 「稚児の舞」は県指定文化財の「布巻祭」、「孫見祭」とも言われ祭神である「木花開耶姫命」(このはなさくやひめのみこと)のお産を母神が産着を持ってお見舞いしたとも伝えられている。「布巻」は外観がまっ黒であり佃煮の昆布味で幾重にも巻かれ歯ごたえ良く、味は醤油と味醂味がしっかり付、中央にわかさぎが入るが河口湖のわかさぎが入手できなく今回は鯖で作った。布巻はカルシウム、ミネラルが豊富に含まれ栄養上も優れている。
  平成17年425日河口湖浅間神社の例大祭がかくもおごそかに開催され、中心は稚児の舞などが披露される。「布巻」はその形態から、姫が十二単衣を着て懐剣を持った姿に似ているとか、神社の御神体である産着にまねしたものだとか、さらに富士山を形どった様で御師の家へ宿泊した富士講の行者を接待し喜ばれたことなどが伝えられている。1949年(昭和24425日、日本民族学会会長の柳田国男氏、渋沢敬三氏方々が歴史ある孫見祭を視察したことで話題を呼んだ。江戸時代、富士吉田市は富士登拝者の宿場町として栄え、八十六軒の御師の宿坊が最盛期にはあった。明治時代初期神仏分離政策で富士講は衰退し、御師は旅館などに転業した。祭事と郷土食が密接に結びついた「布巻」を富士河口湖町勝山の堀内益子氏にお聞きした。
 写真左があらめ昆布、右が布昆布である。

材料

荒布昆布 10枚 ・鯖 1尾 ・砂糖 1カップ ・酒 1カップ ・味醂 1/2カップ ・醤油 1/2カップ ・出し汁 2カップ

作り方
1) 荒布昆布は1枚1枚を丁寧に洗って水に約15分つけ、昆布の表面が乾くまで日陰干しする。
2) 鯖1尾を3枚に卸し、表面の1枚が2cm位の大きさに切り、骨ぬきをして塩を少々振る。
3) 荒布昆布は長さ40cm、幅5cmに整える。
4) 荒布昆布の中心に2)の鯖を入れ、三角形になるように巻き妻楊枝で縫って止める。
5) たっぷりの水の中に酒1カップを加え巻き終えた昆布を火にかける前から入れておく。沸騰したら中火にし、昆布に箸が通るぐらいしっかり茹でておく。
6) 5)は再び中火で1時間煮る。出し汁、砂糖、酒、味醂を少しずつ入れ、さらに煮る。火からおろしてそのまま冷めるまでおく。
7) 6)は沸騰させ、調味料で味を整え、焦げない程度に落し蓋をして味をしみ込ませる。

メモ
木のまな板の上で、荒布昆布を巻くとすべらず巻きやすい。
昔から保存食として食べられていた。


稲荷ずし

 油揚が稲荷の神の使いとされるキツネの好物であることから稲荷神社にはキツネが山門に座っている。そして甘辛く煮付けた油揚を奉献しているのである。 
 今回の稲荷ずしは、山梨で祭り、運動会、誕生会などの行事に「稲荷ずし」が登場しているので取りあげた。すし飯には人参、干椎茸、ずいき、または山菜など味付けをし、細かく切って混ぜる場合もある。味付けした稲荷に普通のすし飯を詰め、上にピンク色のおぼろをのせたりもする。


 資料提供:山梨学院短期大学食物栄養科 准教授 依田萬代先生